2011年3月2日水曜日

アンビバレンス(アンビバレンツ)

テレビのワイドショーが特にそうですが、一度持ち上げたタレントがなにか不祥事を起こすと、嘘のように一転して、引き下げにかかるということがよく起こります。これはメディアの心理というより一般に見受けられる人間の心理なのです。

このような心理の背景には、アンビバレンスの問題があります。

 アンビバレンス(ambivalence)とは、「両価感情」「両面価値」「両価性」とも表現されます。分りやすく言えば、ひとつの事柄に対して、相反する考え、感情が無意識に存在することをいいます。

好きだけれどキライ。行きたいけれど行きたくない。食べたいけれど食べたくない。
指示に従いたいが、従いたくない。話したいけど、話したくない、愛されたいが、愛せないというようにひとつのことに正反対の感情を持ってしまうことです。

表現を変えるとポジティブ、ネガティブの2つの側面がはっきり分離してしまうと言えます。誰にでも目的を成就するプロセスではポジティブ、ネガティブになることはありますが、それとは少し違い、ポジティブ、ネガティブは交代に出入りするのではなく、同居しているといえます。相反する感情が同居していると、身動きできなくなります。

複雑な気持ちの裏には強い不安が潜んでいるのです。求める気持ちがなければ、それを否定する気持ちを持つ必要もありません。希求する心が自分が本当の欲求なのに、それがわからなくなる位に、抑え込む力が強いことがアンビバレンスの問題なのです。

問題は欲求が強くなると、否定も強くなる点です。結局願望が遂げられないことで葛藤が終わり安心するのです。でも偽りの安心は、やがて孤立を運んできます。孤独ではなく孤立です。最も恐れていた見捨てられ感を感じるのは、自分が自分を見捨てているからです。人は失敗に傷つくのではなく、やれることをしなかった後悔に傷つくのです。


 このような状態を誰も助けることは、ほとんどできません。自分に嘘をついているからです。しかし厄介なことに嘘をついている自覚がありません。欲求を抑圧しているので、自分の欲求に気がつかないので嘘の自覚がないのはもっともです。だから厄介なのです。その代償が孤立なのです。これでは自傷行為に他なりません。

自分の気持ちを未処理のままにして、行動すると相反する感情が湧いてきて行動していても葛藤が続きます。そうは言っても、なにが未処理の問題なのか、自分にも誰にも分からないのです。
ヘタをすると一生、未処理の問題に振り回され、 元来持っている自分の才能や努力によって蓄積したスキルが使えないまま、苦労が続くことも少なくありません。これでは何のための人生か、疑いたくなっても無理ありません。

実際に私のもとには、「生きていても仕方がない」と悲痛なお便りが後を絶ちません。また苦学して立ち上げたビジネスで一定の成功を見たにも関わらず、その後奈落の底に落ちていくように何もかも失ってしまう事例も繰り返し見ています。共通しているのはビジネスの失敗というより生き方の失敗が原因なのです。

 ですから出来ることからやるようにしましょう。まずすっきりした行動をして集中できるようにするために、アンビバレンスの問題をクリアしておきましょう。アンビバレンスは比較的、把握しやすい問題なので手をつけやすく解決しやすいのです。

それにしても、人生早期にネガティブな体験をした人にとって、欲求に忠実に行動することには危険を感じることが少なくありません。自分の行動に対する責任を引き受ける自信がなく、勇気が不足しているのです。それを責めるのは苛酷であり、つらい体験と共に痛みと不信がしみ込んでいるのはムリもありません。

特に幼児にとってもっとも重要なのは、名誉でも財産でもなく、愛情と保護を最も必要としていたことを思うと、幼少期になんらかの理由で愛情と保護の不足を感じた場合、臆病になるのは仕方がないことなのです。アンビバレンスは、その仕方なさから生じてきます。
物心がついてきた頃に父親との離別があると、異性への不信と共に、子供特有の万能感が裏目に出て、自分のせいで離別が起こったと感じてしまい、自己否定感に苛まれます。時には強いトラウマになることも珍しくはありません。
成人しても、異性の誠実な好意に向き合うことになっても、なにか裏があるのでないかとか、いずれ突然離れてしまうのではないかと不安がよぎります。

 そこでアンビバレンスが生じて、はっきりとした確信が得られるまでは、率直な態度は見せないというように頑なに繰り返し確証を求めるようになります。ネガティブな面からのアプローチになるので、「好きだけど」は隠されてしまい、「好きじゃない」が表に出できます。デートに誘われても、「行きたい」は隠されて「行きたくない」が意識されます。しかしいくら隠しても、希求する気持ちがあるので抑圧され、抑圧が不十分だと、反動形成という形をとって抑圧しようとします。

反動形成とは、まったく反対の表現をすることです。抑圧が抑え込むだけなのに、対して反動形成は積極的に反対の態度や意見を表現するようになります。相手は表現されたことを真に受け止めるか、あるいは混乱します。コミュニケーションは、言葉だけでなく態度、表情などボディランゲージも含めて行われているからです。それらに一貫性がないので混乱するのです。

いわゆるツンデレはその典型的なもので、分かっていれば、同性からも、異性からも、かわいいと評価されることも少なくありません。しかし、実際には危険が潜んでいることは知っておいてほしいものです。いつまでも続けるのではなく、できるだけ早くアサーティブに自分を表現していくようにしましょう。

好きな人を困らせて内心喜んでいるのは、注目されることがうれしいわけで、そこには愛情の希求が存在しています。しかし相手が誠実に受け止めて反応したからといって改善されないのは、アンビバレンスから脱することができないからです。
ですから、その場にふさわしくないコミュニケーションが続くことに対して、助けてくれと言っている声が聴こえるような気がしても不思議ではないのです。

しかし、どのような深い愛情を持ってしても助けることはできません。人は他者を変えることは出来ないからです。それはいい意味でも、残念な意味でも「境界」があるからです。私はあなたではない。あなたは私ではない。だからこそ愛することが尊いといえます。アンビバレンスに拘束されたツンデレは、それを破壊します。

0 件のコメント:

コメントを投稿