ことさら自分の弱みを強調して行動を変えない、行動しない人がいます。自分では努力していて、これ以上は自分にはムリだと、行動することを拒否するのです。
これが「弱みの正当化」というトリッキーな交流のひとつです。いくら励まし、応援しても、一向に改善の兆しはみえない。いい加減にしろと見放しそうにすると、少しばかりは挑戦の気配を見せるが、すぐにまた元通りになります。
「私はやりたいのです。このままではイヤです。でもどうしていいのか分からないのです。こんな私にそんなことができそうにありません。親の育て方が間違っていたのです。それなのに、私にはムリです。」ざっとこんな感じです。
自分の人生の先は見えていると感じていて、失敗を避けようとします。無気力で挑戦しようとしません。挑戦したら傷つくだけだと考えているのです。「私はやりたいのです。」といっても、願望はあったにしても挑戦して傷つく前にあきらめているのです。
これもアンビバレンスに陥った状態ですが、ネガティブ面に支配されているのです。
そして「弱みの正当化」をしていると、誰かが助けてくれる、我慢してくれると思い込んでいるのです。そのようにラケットを使って支配しょうとしているのです。
カモになるのは、自分を受け入れてくれる人です。最初は、困った状態を打破したいと訴えます。同情と励ましをとり続けている間は、問題なく交流は展開されますが、やがて問題を克服する方法と意欲が話題に上るようになりだすと、関係に暗雲が漂い始めます。そして一向に行動しない、行動に変化が起こらない、それも客観的に観て簡単なことなのです。それが一向に進まず「弱みの正当化」が激しさを増します。
救済者側がイライラし、援助を投げ出すようになると、ますます悪くなるだけだと訴えます。しかし行動に何の変化もないので、中止せざるを得ません。
関係はこじれ、挫折感で結末を迎えます。
「やってもできないじゃないか」と救済者のせいにします。責任転嫁の裏で自他否定します。これが交流の目的だったのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿