2014年10月28日火曜日

<ある>を<する>にできる力




<BE〜在り方>だけでは現実を動かすことはできません。
あなたの周囲の大事な人々とWinーWinの関係を作るには約束を果たす行動の実行が必要です。

それが出来そうにないと想像するとWinーWinの関係を作ることを拒むようになります。



BE〜ある>を<DO〜する>ために<TO~なる>という段階が必要なのです。

すでに<ある>状態であれば<する>ことはできます。

しかし<ありたい>状態、願望の状態であれば、<ありたい>から<する>ことはできません。

多くの人は、ここでつまずきます。

一部の勇気のある人は<ありたい>から<する>を実行できますが、否定感の強い人は<ありたい>を<する>にできません。

そこで<Yes,But,If>の構文、つまり「その通りですね。しかしこの状態では無理です。もし条件が整えばやってみます。」を使って、<する>を打ち消します。Yes,But,If>を使っている限り変えることはできません。

この段階で必要なのは、打ち消すことではなく、<なる>ことです。
<なる>努力に目が向かわないので、<する>ことができないのです。

<なる>努力に目が向かないのは、傷つくことを恐れているのも一因ですが、その原因が<する>で評価を「されて来た」、「して来た結果だ」ということを忘れないでください。





<ある>に目を向ければ、そこには<ありたい>自分に気づくことができます。
<ありたい>自分に注目すれば、<なる>ことは大した難問ではなくなります。

<する>に目を向ければ、そこには過去の<する>で傷ついた自分がいます。
そのために<ありたい>自分を中心に据えず、他のなにか、誰か、つまり<依存>を中心に据え、確実に失敗します。


そうしてまたもや傷つき、意欲を失います。この問題にどのように切り込めばいいのか、説明します。

続きは


2014年10月21日火曜日

無邪気な自分を取り戻そう

人は無邪気なこどもが基本です。

「児童虐待」の迫害者が全員、口を揃えて言うのが、「うるさい」「言うことを聞かない」です。

しかしこの大人の意識に同情の余地はありません。
なぜなら子どもはそういうものなのです。

自分たちが子どもを生み育てるということは、それが前提です。
連れ子であっても、同棲であっても、その環境を受け入れることが前提なのです。

よくお店で走り回っている子どもを叱っている親がいます。居合わせた他の人々への申し訳で叱っておられるのですが、そういう場に連れてくるのが間違いで、子どもにしたらいい迷惑なのです。

このような体験を繰り返し、子どもは「無邪気であることは悪」とインプットされ、従順さを増していきます。(親の対応で適正~やりすぎ、放置と差はあります)

そのプロセスで子どもが学ぶので「抑圧」です。言い方を変えれば「偽りの自分」づくりに成功するのです。これに成功した人は、あとあと苦労します。
本当は抑圧ではなく主体的に選択させるように学ばせる必要があります。親はコミュニケーションに時間が必要となり捻出方法を考えなければなりません。

怖い顔で叱って暴力で封じ込めるのは、その一瞬は簡単であっても、そのツケは必ず回ってきます。

抑圧に成功した子は、なにごとも成果、結果で評価されようとします。
評価されるためには、<Do>なにかをしないといけないと思います。

できない自分はダメ人間だと思ってしまいます。
なにかするたびに結果を想像しただけで疲労を感じます。

行動する前に疲れてしまい、やる気が起りません。
この態度が習慣化します。

99日間プロジェクトで変えたいのはこの習慣と、習慣が変わらない本当の原因を知って、対策してもらうことです。


仕事だの人間関係だの、いろんな出来事があって、すでに疲れている心身を維持するのに大変なのに、あれもしなければ、これもしなければと追いつめられた気がします。

そうすると、いっぱい時間があっても、なにもする気がせず、ダメな自分と思いながら、くだらない番組しか放送していなくてもテレビの前に寝転んで、社会と繋がっている気がします。ますます自分が好きになれなくなります。

このパターンの過ちの元はどこでしょう?

「偽りの自分」づくりに成功したことです。
なにごとも成果、結果で評価されようとしたことに成功してしまったのです。

その結果、過去と未来しかない自分になってしまったのです。



<Do~ する>

過去の体験をもとに自分にできることを想像して<Do~ する>を繰り返す自分を創ってしまったのです。実際は過去の延長ではないのですが、過去に囚われているので習慣が変えられないのです。

次のような意識がぴったり貼り付いた状態です。

過去=できなかった
未来=できそうにない
判断=したくない(しなければならない)
結果=しなかった(できなかった)
意識=罪悪感、自分はダメな人間

これをはがす方法が主体性を取り戻すことです。
簡単に言えば<無邪気な自分>を取り戻すのです。

子どもはやりたいからするのです。

この<たい>が主体性(アサーティブ)であり、<Be~在り方>です。

ただ子どもと違い<率直、誠実、対等、自己責任>を果たす義務があります。この義務を果たせる能力が<ライフスキル>です。

<ライフスキル>は
IQでなくEQ(心の知能指数)と言われています。

EQ(心の知能指数)の表現を阻害しているのが、身につけている<人間関係の仕方の構え>です。


この先はこちら






2014年10月11日土曜日

「したいけどできない」は嘘




「したいけどできない」を繰り返し、自信を失っている人はたくさんいますが、主体性のないまま<Do〜なにをするか>に取り組んでいるからです。

主体性のないということは、主体性が他のなにかにすり替わっているということです。

それに自分が気づいていない、あるいは勘違いしているからです。










恋愛で苦しむ人は、間違いなく、相手を中心に据えています。

相手は相手で主体的に生きているので、自分の思うようにならないのが普通です。自分の思うようにならないものを中心に据えたら自分の恋愛は不安定になります。ならない方がおかしいのです。

苦しむことが愛情の深さではありません。もしそう感じているなら、恋愛に酔いしれているだけで、酒に酔っているのと同じです。

相手が精神的に病んでいることは、現代社会では珍しくありませんが、もし病んでいることに気づかず<Be〜在り方>に入れてしまうと自分の暮らしは破滅に向かいます。

主体的に暮らしていない相手と主体的に暮らしていない自分が恋愛をしたら「共依存」しかありません。この二人は1+1=2になりませんので、相乗効果は生まれません。

主体的にに暮らしている二人が恋愛すれば相乗効果が生まれて、1+1=3、4、5というようになります。

<Be〜在る>を基準にすると「したいことはできる」のが自然です。
<Do〜する>を基準にすると、できない場合もあります。

この事実を99日間プロジェクトで体感、実感していただくことが目的なのです。

その上で、マイプロジェクト(ユアプロジェクト)では、自主的に体感、実感していただくことが目的なのです。



2014年10月9日木曜日

こんなカレなら捨ててしまうに限る

過去の<Do~なにをしたか>の評価を鎧兜にして、ニセの自己肯定感でガードしている人って身近にたくさんいるでしょう。やたらめったら他人の評価が気になる人。

この種の人は他人の優れた点が気になるので、目障りに感じます。
そこで他人を評価を貶めたくなります。貶めることで、自己否定感を肯定感に塗り替えようとするのです。

つまり否定的になるほど、他人が気になって、他人の評価を自分がしているのです。

この状態を客観的に見ていると、とても滑稽だし、気の毒です。蟻地獄に自分で入り込んでいるからです。

その苦しさを拭ってくれるのは他人の評価ですが、ごく親しいものに限られます。

そこで外の大きな世界との交流を避けます。

この種の人を<ボス>に持てば、チームは病的な集団にならざるを得ません。自律的なチームを求めることは不可能になるので、共依存にならざるを得ません。






これはあなたと彼の関係にもあてはまります。在り方の問題なので、あなたとの関係が仕事にも出るのです。

この種の人の問題は<Do~なにをするか、したか>で評価を求め続けることです。

なにがウィークポイントになっているかで、なにから自己肯定感を得ようとするか、対象は違いますが、異性のとの関係に求めたら、際限のないヤリマンになる危険大です。

彼は愛を求めているようで、実際には自己肯定感を求めているので、愛からは逃げ出します。

ひとつの恋が落ち着いたら、次の恋でまた、自己肯定感を求めようとします。


浮気も本気もないのは自信をえたいばっかりだからです。

一種の病気です。本人が気がつかない限り、蟻地獄から出てくることはできません。

終わりがないので、こんなカレなら捨ててしまうに限ります。

間違っても、自分が助けてあげようと思わないことです。もし、あなたもそう思うなら、あなたもすでに蟻地獄のなかです。カレのことより自分のことを心配しましょう。











2014年10月7日火曜日

習慣は第二の天性、だから簡単に変える方法が大切



習慣は第二の天性といいます。

朝起きたらまず何をしますか?
昼が近づいたらなにを考えますか?
夜9時になったら、なにを考えますか?
寝る前になにをしますか?

すること、考えることは、人さまざまですがほとんどの人は毎日同じことをしています。
認知症のお年寄りは、なかなか認知症と気づかれませんでした。
毎日同じ時間に、同じことを、していたからです。あなたが意識していなくてもできるように、体の中に刻み込まれているのです。

スゴいことだと思う反面、怖いことだと思いませんか?

この行動パターンのことを一般的に習慣と詠んでいます。
コミュニケーションに苦労するのもあなたの性格ではなく、あなたの行動パターンでしかありません。イライラするのもあなたの行動パターンです。

あなたをコントロールしてあなたの人生を操っていたのは、「習慣」と言う名のあなただったのです。

習慣とは、広辞苑によれば「習慣は人の性行に深くしみこんで、生まれながらの性質のようになる。習慣が人の性行に影響することの大きいことをいう」とあります。

性質のように、ぴったりあなたに貼り付いてします行動パターンです。クルマの運転がいい見本です。無意識に複数の行為を同時に行いながら無事に車庫におさまるように運転しています。

最初はどうでしたか?

これからも言えることは、習慣を変えれば、行動が変わり、人生も変わります。
その意味で習慣は第二の天性なのです。


では、どうすれば、習慣を変えることができるのでしょう?

困ったことに、誰でも自分で習慣を変えることは難易度の高い大事業なのです。