2014年1月28日火曜日

愛される仕組みを整える

お互いの愛し合っているのに、不愉快になる。不愉快になって嫌いかと問いかけると「そんなことない。愛している。」と言う。人間だから感情が時間と移ろいと共に変わってもおかしくありません。だからそんなこともあるよ」で片付いて行く。

でも、本当に片付いたのでしょうか?

そこには何もなかったという言葉で、片づけられない本質的な問題が横たわっているものです。

愛しあっているはずが不愉快になってしまう背景には、<本当に言いたいことを積極的に伝えていない。>という問題が潜んでいるものです。

伝えられない理由が双方にあることが多いのです。

このような二人が問題にぶつかると脆いものです。


問題を越えていくプロセスを通じて、鍛えられ信頼と愛情が深まって行くことも確かですが、正念場と心得て信頼関係を強めたいものです。

愛し合う二人なら、問題が生じれば、力を合わせて問題解決に挑むところが、全面的な信頼がなかった場合には、問題への対処が不十分になるのは、因果関係から(普遍的に)当然だと思います。

全面的な信頼とは、心を許し合っていないことですが、その原因がコミュニケーション不足。相手への遠慮。

たとえば「自分なんか」という思いがあると、遠慮が起こります。遠慮は言い換えると「気遣い」と言うこともできますが、「気遣い」と「遠慮」は似て非なるもの。気遣いは相手を思って相手に「配慮」することで主体性があります。

「遠慮」は自分がどう見られるかを思ってのことで主体性に欠けます。このように愛情(配慮)と不安(遠慮)は異質なものです。

遠慮があると依存的になりますが、この依存には要求が潜んでいます。言葉、態度、表情に出していないつもりでも、要求があるので必ず出ています。この出し方が相手にわかりずらく、不愉快になります。

壁越しに何か言ってるようなもので、相手は分かりずらい。相手にすれば、壁の向こうから、ここに出てきて話をすれば、分かりやすく通じやすいと思います。片方が主体的であれば、あるいはコントロールされていなくて、主体的になれる状況にあれば、分かりやすく通じやすいコミュニケーションをします。

ところが双方が壁の向こう側にいれば本当のコミュニケーションができなくなります。
これが続くと疲れてきて愛情が縮まります。愛情は開放的なものなので、その本領(温かさ)が出し惜しみ状態になります。

男性は性質上、つきあって行くうちに、女性を値引きしていくものなので、出会った頃が(一般的に)満点だとしたら、後は評価が下がって行きます。女性は安心の維持・継続を望むものなので愛した男性が最高の男性になっていきます。

しかも男性は考えるときにはひとりになりたいものです。女性は(当然彼氏に一番に聞いてほしい)誰かに話すことで考えをまとめるものです。

この真逆の性質と絡んで、男性は問題があると距離を置いて考えるようになっていきます。

距離を置かれると女性は不安になり、余計のこと彼氏に聞いてほしい、知ってほしい、わかってほしいと思います。愛し合う二人に微妙は食い違いが生じますが、感情的な行動をしない二人なら、ここでつまずくことはありません。

さて、この「聞いてほしい、知ってほしい、わかってほしい」時に、感情的な行動をとらず、感情的にならず、感情的な言葉を使わず<率直、誠実、対等、自分の責任>自分の考えを伝えきれることが重要になります

もし、怒り、不安などネガティブな感情を抑え込んでひねくれて、率直でない、対等でなく(実際には依存的な状態になって)、「あなたの責任よ」という態度でコミュニケーションすると、関係は悪くなります。

「聞いてほしい、知ってほしい、わかってほしい」を遠慮せず(自分を抑えこまず)、相手を気遣いながら(愛情を解放して)話すようにしてみましょう。愛情とは相手の人生を応援すること、励ますことであって、「自分を愛してくれ」は愛情ではありません。

究極、男性はひとりではありません。意中、交際中を問わず、彼ほど素敵な人はいないのも真実だし、彼以上に素敵な人はいっぱいいるのも真実。

つまり自分が決めていることにすぎません。

そういうと、誰でもいいのかということになるかと思いますが、本当のことを言うとほぼ誰でもいいのです。いい加減なようですが、そこから見えてくることがあります。

この人を命かけて、応援したい、励ましたい。
心底、そう思える人は、滅多にいないと思います。なぜなら人間誰でも自分が大事だからです。

それが悪い訳ではなく、自分の人生だから、そういうものだし、そうあるべきなのです。そこに人と人の境界線<境界>があります。

つまり「自分を愛してくれ」は<境界>を越境してしまうことが多いのです。

この人を、「応援したい」「励ましたい」は<境界>を緩めた状態で越境にはなりません。

セックスをしてひとつになっても、それが人間の限界。相手になることはできません。

愛する程に嫌でも限界を知ることになり、愛するほど、切なさを感じます。物理的にも精神的にも人間には限界(境界)があります。だからこそ限界(境界)いっぱいに相手を思う高まりと美しさがあります。


それは、<率直、誠実、対等、自分の責任>のいかにも品行方正と思えるような4つのミックス、つまり<アサーティブ>でしか表現できないのです。もし、率直に言うだけなら相手を傷つけます。誠実であっても、率直でなければ皮肉になります。相手に責任を負わして率直、誠実、対等に接すると相手は重荷に感じるでしょう。


幸せは自分でつかむことができます。「こうなりたい」をビジョンから「こうなる」にイメージにして、自分を信じられるように自分を鍛えあげるのが、人を心から愛することからの贈り物です。それが子育ての力に発展していきます。



率直、誠実、対等、自分の責任 人間関係の仕方の4本柱を身につける方法
ちょっとした努力ですべてが変わります。


無料登録受付中 こちらから

2014年1月6日月曜日

いじける人はここが危ない



いじける人はラケットという手法を使い他者をコントロールしようとします。この手法と態度はマイナスの感情を使うので、マイナスの感情を手放すわけにはいかないのです。いじける態度を手放すことができず習慣化させてしまいます。

このため驚くべきことに、自分や他者を信頼することが障害になるのです。ネガティブであることが目標達成のツールになってしまうのです。本末転倒です。

幸せを引き寄せよう努力する健全な環境であれば周囲がこのような在り方を認めることはないので、このやり方で自分を発展させることはできません。




2014年1月3日金曜日

愛は、どのように、どんなことに、役に立つのか?



愛は、何の役に立つのでしょうか?
愛とはどのようなことに対して、どう使えば、効力を発揮するのでしょうか?
愛とは覚悟であり、技術です。10のライフスキルの根幹となるスキルです。

人生とは選択の連続ですが、愛、つまり自己肯定は覚悟(勇気ある決断)になります。覚悟はスキルを上回るので専門スキルを育むプロセスを通じてライフスキルも同時に育みます。自分の在り方が専門スキルを育み自分の在り方を成長させるのです。

覚悟とは必要のために、自分と状態を肯定し受け入れることです。必要のためとは言っても自分と状態を率直に受け入れることは勇気が入ります。人は何かを成し遂げるスキルを気にしますが、覚悟は必要な変化を受け入れ、必要な学習、努力を自分に与え、必要なスキルを自分に招き入れます。必要を受け入れ果たすことで自分の道が開きます。「自分らしさ」とはここで開かれる自分の道に他なりません。


自己否定、あるいは他者否定のような、理由なき否定は根拠もなく変化そのものを恐れているので、正当な理由なき拒否をやってしまいます。間違った判断を招き入れます。そこに潜在するスキルを高めること、さらに機会さえも受け入れないので人生の重要な局面を在り方と共に台無しにしてしまいます。

もっとも気にせずにいればそれまでのことですが。
つまり愛のない暮らしで満足というのならそれでいいのです。しかしその仕返しは人生で必ず受けます。人生とはそういうものなのです。あなたに仕組みがあるように、人生にも仕組みがあります。なぜならあなたに仕組みがあるからです、つまりあなたの人生だからです。だから裏返せば「なりたい自分」になれるし、思うような人生にもなるのです。

その意味で「愛」と「生きる構え(対人関係のフォーム)」は誰にとっても冒険の旅である人生に欠かせないパンとナイフ、ランプのようなものだと言うことができます。

私たちは暮らしていく上でいくつかの大きな課題に向き合います。
自分自身のこと、仕事、恋愛・結婚、子育て、家族、社会とのコミュニケーション、さらに、お金、時間、成熟すること、健康、介護などがそうです。

これらの課題を自分にふさわしく最適化しょうとして、私たちはいくつもの障害を克服しながら調和を図ろうとします。

愛とは、あなたの脳と感情と身体、それらを統合した心の忙しい動きをバランスよくマネジメントするバスターミナルのような働きをしています。

愛を正しく理解して、ライフスキルに落としこみ使いこなすと、人が向かい合う課題は間違いなく処理しやすくなります。
困ったとき、迷ったとき、愛は必要な形に姿を変えて羅針盤になるのはもちろん、あなたと周囲の人を励まし、勇気づける力になります。

ライフスキル




2014年1月1日水曜日

なりたい自分になる元年。

明けましておめでとうございます。

健康で希望溢れる素敵な一年でありますように祈願いたします。
どうぞ本年もよろしくお願いします。