2016年7月7日木曜日

「あなたのために・・・」って本当でしょうか。勘違いです。



「あなたのために・・・」って親にしろ、パートナー、恋人にしろ、職場の上司、先輩からよく聞きます。

疑うわけでなく、本当でしょうか?

その言葉が出る段階で嘘になります。
嘘が言い過ぎなら勘違いです。


現在の寺島しのぶさんのお母さんであられる「藤純子」さん、
いまは富司 純子(ふじ すみこ)さんですね、
一旦結婚を契機に引退されたけど、最近また活躍されているそうですね。


藤純子さんの代表作は『緋牡丹博徒』シリーズ。
この作品がヒットした瞬間は第一作のラストシーンにあると考えます。

『緋牡丹博徒』を救わんとして、旅人役の亡き高倉健さんが自分の親友と対峙して相打ちになります。
息も絶え絶えの健さんを抱きかかえ、「私のために」と泣きながら声をかけます。
そこで健さんは「俺のためだ」と返答して息を引き取ります。




明らかに助けに行ったのですから「あなたのため」なのですが、それを「俺のためだ」と言ったのは、そうしたかったからです。
そうせずにはいられなかった「自分のため」なのです。

映画は「俺のためだ」と呟いて死んでしまうことで、永遠の愛を表現できたのです。




自分がやりたくてやっている人は見返りを求めません。
するのが嬉しいから、しているだけなのです。
行動した段階で、思いは達成できているのです。


だから、「あなたのために・・・」といった段階で、嘘になります。
見返りを求めているからです。

子育ては、子どもが頼むからしているものではありません。
子どもを産んだのは自分らの都合です。

それを後になって「あなたのために一生懸命働いている」と言われても、強迫でしかなくなります。

「この子のために・・・」と思う気持ちは真実であっても、それは全部自分の都合でしかないのです。

パートナーにしても恋人にしても、職場の上司でもみんな同じです。

感謝されたいのなら、いい人なんだと思って欲しいのなら「ありがとう」で済む話です。
それなら言って欲しいで済むことですが、それ以上のことを要求されたら、ちょっと違うと考えて対処しましょう。








2016年6月29日水曜日

「あるがままを受け入れる」という意味



ヒトラーを成功者、英雄視する人がいます。
自分はそうは思わないけど、そう考える人にはそれなりの理由があります。

つまり、ひとには「そう思える自分の世界」があります。

自分のある行動に対して
「崇高な精神の持ち主ですね。真似できない、敬服します。」
と言ってくれる人もいれば
反対に「最低だ。お前はおかしい。」と攻撃してくる人もいます。

それぞれに、当人にはそう見えるのです。
誰にどう見られても、当人の世界で私の世界ではありません。

自分の気持ちは自分が一番知っています。
だから、称賛に対しては「ありがたい。勇気になる」と思うし、
悪口、誤解に対しては、「そうじゃない」と反論したくなります。

しかし、反論は「相手を否定する」ことです。
反論した段階で、事実に関係なく別の次元に突入してしまいます。
相手を肯定するか、否定するかの次元です。

否定された悔しさから、反論することで、相手を否定する。
話の本体とは関係なく、否定合戦に陥るのです。

このバカバカしさに対処するには「否定されることを受け入れるしかない」と思います。
「あなたにはそう見えるんですね。そうですか。」という態度しかない。
「はい、わかりました。そうですか。」と胸の内で呟いてお終い。
それ以上、発展させたくないので、発展させないようにします。

「相手のなかで見えること」を否定しても仕方がありません。
悔しいけれど、あきらめるしかない。
あきらめるのも自己主張(アサーティブ)だと思います。

相手が見方を変えるのを待つしかないのです。
変えないかも知れません。
でも相手を変えることはできないから受け入れるしかないのです。

これも『あるがままを受け入れる』ということなのです。

誰にどう見られても、私は私でしかないのです。、
私は相手の世界を生きたくもないし、生きることもできない。

生きていると損をすることもあります。傷つくこともあります。
損を嫌がり、傷つくことを避け、
得すること、いいことだけを得ようとしても、
できません。裏表1セットだからです。

超ポジティブ」とよく言われます。
それは傷つくことを受け入れている面、
諦めている面を見ていないからそう見えるのだと思います。
あるがままを受け入れている』だけなのです。

つまり信念を大切にして、すべてを受け入れていると、
ネガティブもポジティブに変わるということです。

『もしもドロップシッピング幸せプロジェクト』もお楽しみください。



「あるがままを受け入れる」という意味



ヒトラーを成功者、英雄視する人がいます。
自分はそうは思わないけど、そう考える人にはそれなりの理由があります。

つまり、ひとには「そう思える自分の世界」があります。

自分のある行動に対して
「崇高な精神の持ち主ですね。真似できない、敬服します。」
と言ってくれる人もいれば
反対に「最低だ。お前はおかしい。」と攻撃してくる人もいます。

それぞれに、当人にはそう見えるのです。
誰にどう見られても、当人の世界で私の世界ではありません。

自分の気持ちは自分が一番知っています。
だから、称賛に対しては「ありがたい。勇気になる」と思うし、
悪口、誤解に対しては、「そうじゃない」と反論したくなります。

しかし、反論は「相手を否定する」ことです。
反論した段階で、事実に関係なく別の次元に突入してしまいます。
相手を肯定するか、否定するかの次元です。

否定された悔しさから、反論することで、相手を否定する。
話の本体とは関係なく、否定合戦に陥るのです。

このバカバカしさに対処するには「否定されることを受け入れるしかない」と思います。
「あなたにはそう見えるんですね。そうですか。」という態度しかない。
「はい、わかりました。そうですか。」と胸の内で呟いてお終い。
それ以上、発展させたくないので、発展させないようにします。

「相手のなかで見えること」を否定しても仕方がありません。
悔しいけれど、あきらめるしかない。
あきらめるのも自己主張(アサーティブ)だと思います。

相手が見方を変えるのを待つしかないのです。
変えないかも知れません。
でも相手を変えることはできないから受け入れるしかないのです。

これも『あるがままを受け入れる』ということなのです。

誰にどう見られても、私は私でしかないのです。、
私は相手の世界を生きたくもないし、生きることもできない。

生きていると損をすることもあります。傷つくこともあります。
損を嫌がり、傷つくことを避け、
得すること、いいことだけを得ようとしても、
できません。裏表1セットだからです。

超ポジティブ」とよく言われます。
それは傷つくことを受け入れている面、
諦めている面を見ていないからそう見えるのだと思います。
あるがままを受け入れている』だけなのです。

つまり信念を大切にして、すべてを受け入れていると、
ネガティブもポジティブに変わるということです。


『もしもドロップシッピング幸せプロジェクト」もお楽しみください。



2016年6月10日金曜日

奇跡記念日



6月9日はロックの日。
一夜明けて6月10日は時の記念日。

時は一瞬も止まることなく流れていますが、
その流れは誰にとっても同じではありません。

人によって時間の温度差があると思います。

奇跡は起こると信じる人には起こるし、
あり得ないと思う人には起こらない。

恋にとっての不在は、火にとっての風。
小さいものは消し去り、大きいものはさらに燃え上がらせる。

これは会えない恋人の真実を語った言葉ですが、
万事に通じるのではないでしょうか?

成功の反対語は失敗ではなく、なにもしないこと。

「愚直な一途」
の対極に
「賢明な熱意のサジ加減。」

奇跡は起こるべくして、起こるのです。

しかし現実は、「愚直な一途」をせせら笑うように
美酒を吹き飛ばすかも知れません。
だからこそ、それさえ気にしない「愚直な一途」なのです。

陽気で誠実なバカになれることは、
それ自体が素敵に時を過ごすあり方であり、
それ自体が奇跡記念日です・・・・・


2016年6月9日木曜日

シンプルがいい。


シンプルとは、余計なものがないということです。
なにが余計なのかは人によって違います。
だから他人と比べる必要はありません。

理想の自分も余計です。
理想の自分とより高みをめざす自分とは似ているようで違います。
理想の自分とは親からの期待を映し出したものであったり、
親や他者から認めてもらうための避難場所であったりします。

ですから、理想の自分を達成しても、
本当の自分と乖離しているので、
幸せになれる可能性は低いばかりか
疲弊してしまう懸念があります。
間違った思い込みから解放することが急がれます。

一方、高みをめざす自分とは、
自分にとって正しいことをして、
つまり、ありのままの自分でいながら、
進化したいと願うことです。

ある人は本当はAKBや乃木坂が好きなのに、
それを公言するとミーハーだと思われないかと危惧して
ハイセンスと思われている音楽が好きだと言ってました。
これをありのままの自分とはいいません。
簡単に言うとこれが理想の自分とありのままの自分の違いです。


シンプルライフとはありのままの自分で暮らすことです。
好きなことをやり続ける暮らし方です。

たとえ他人にとっては魅力的なことでも、
自分にとってそうでないことはしない。
嘘偽りのない暮らしを先進国ですることは
不可能に近いと思いますが、
チャレンジすることは、決して間違っていないと思います。

ゲーテは73歳で18歳の少女に一目惚れしてプロポーズしたといいます。
結局、ゲーテは親に反対され失恋しますが、
自分らしく生きる上で必要だったのです。
その情熱を誰も愚かとは言えないのです。






2016年6月7日火曜日

記憶力に効果「脳とセックス」の甘くハッピーな関係




脳機能を高めるトレーニング法。
いわゆる脳トレには昔から、指先を使う作業、ピアノ、瞑想、毎日必ずひとつ、何か新しいことを経験するなどがいいと言われてきました。

もっと身近で簡単な方法として愛し合うこと。
つまりセックスもそのひとつだとご存知でしたか?

イタリアのパヴィア大学が血液検査を使った実験を行いました。
被験者を「恋愛初期の人」「長期間つき合っている人」「パートナーのいない人」の3グループに分けて血液検査を実施。
恋愛初期のグループは、他の2つに比べて神経成長のレベルが高まっていることを発見しました。

その理由として、恋愛初期の人ほどセックスの頻度が高いためではないかと研究者グループは判断。

愛を分かち合う頻繁な性行為は、愛を深めるだけに留まらず、神経細胞の成長も促していることが解明されたのです。



さらにアメリカ、メリーランド大学の研究成果の発表によれば、性行為が心にも脳にも心にも、いい影響を与えているというそうです。

セックスが脳に与える影響を調べるため、ラットを使った性交実験を行いました。

ラットが交尾をはじめた途端、雄にも雌にも記憶に関わる脳の器官「海馬」に影響が出始め、新たに生成されるニューロン(神経細胞)の数が増加する事実を発見。


さらに毎日30分間だけ、交尾に費やす時間が与えられたラットたちの細胞を調べると神経幹細胞と呼ばれるニューロンの素となる細胞がニューロンへ分化する「ニューロン新生」が促進され、記憶力が上がる結果が得られたのです。この効用から認識機能が回復効果も期待されることが判明しています。



2016年6月1日水曜日

キダルト社会を生きるにあたって

人間という生き物は、他の動物のように自然と“大人”になるというものではありません。出産したら"母親"のスキルが身につくわけではないと同じです。

その一方で『大人の・・・』『オトナの・・・』のいうフレーズが増えていますが、人口比率データ上の話で、実際には成熟した落ち着きのある社会になったのかといえば、真逆のような気がしませんか。

家事をしないからと夫が妻の首締めた、テレビのチャンネルを争って母親が子どもの首締めた、選挙目当ての不信任決議・・・

騒々しい社会に一途にまい進しているのは、どういうことなのかとアホな自分には理解できないのです。

その代表とも言える旬な人物が「ま」氏だが、その有り様を報道するテレビも劣らず騒々しくご子息にまで触れたら「それはやりすぎでしょうと言いたいが正義の顔は暴走する。

テレビ番組を作る人にも、大人のふるまい方が判らない人が増えている証拠だと思う。

ウィキペディアの説明によると

大人(おとな、英: adult)とは、
•十分に成長した人。成人。
•考え方や態度が十分に成熟していること。思慮分別があること。
一般に「子供(こども)」という表現と対比されている。

考え方や態度が十分に成熟していること、思慮分別があること、としている。別の表現では、目先のことだけに感情的に反応したり単細胞的に反応したりせず、長期的・大局的なこと見失わず理性的な判断ができる状態、とも言えよう。

また、「子供」というのが依存状態にあるのと対比して、自立的に行動できる状態とすることもある。

また、「子供」というのは、自分のやったこと(やらかしたこと)の後始末も自分でできず親に「尻拭い」をしてもらう状態であるのに対して、「大人」は自身のやったことについてはしっかりと自分自身で後始末をするなど自分の行動に責任の持てる人のことを指す場合もある。

「子供」は往々にして無軌道で、衝動的で、自分の行動を律することができないのに対して、「大人」は自分を律することができる人(自律できる人)、というニュアンスになることもある。

年齢的には「大人」に分類されるような年齢になっているにもかかわらず、精神的には子供の状態にとどまったままの人を英語では「kidult (キダルト)」などと言うそうです。


高齢化社会というより高齢者も含めた「キダルト社会」というのが正しいかも知れませんね。



では、成熟した落ち着きのある日々を暮らすには・・・反省をしながら研究を重ねて素敵に丁寧な日々を過ごします。