2016年6月1日水曜日

キダルト社会を生きるにあたって

人間という生き物は、他の動物のように自然と“大人”になるというものではありません。出産したら"母親"のスキルが身につくわけではないと同じです。

その一方で『大人の・・・』『オトナの・・・』のいうフレーズが増えていますが、人口比率データ上の話で、実際には成熟した落ち着きのある社会になったのかといえば、真逆のような気がしませんか。

家事をしないからと夫が妻の首締めた、テレビのチャンネルを争って母親が子どもの首締めた、選挙目当ての不信任決議・・・

騒々しい社会に一途にまい進しているのは、どういうことなのかとアホな自分には理解できないのです。

その代表とも言える旬な人物が「ま」氏だが、その有り様を報道するテレビも劣らず騒々しくご子息にまで触れたら「それはやりすぎでしょうと言いたいが正義の顔は暴走する。

テレビ番組を作る人にも、大人のふるまい方が判らない人が増えている証拠だと思う。

ウィキペディアの説明によると

大人(おとな、英: adult)とは、
•十分に成長した人。成人。
•考え方や態度が十分に成熟していること。思慮分別があること。
一般に「子供(こども)」という表現と対比されている。

考え方や態度が十分に成熟していること、思慮分別があること、としている。別の表現では、目先のことだけに感情的に反応したり単細胞的に反応したりせず、長期的・大局的なこと見失わず理性的な判断ができる状態、とも言えよう。

また、「子供」というのが依存状態にあるのと対比して、自立的に行動できる状態とすることもある。

また、「子供」というのは、自分のやったこと(やらかしたこと)の後始末も自分でできず親に「尻拭い」をしてもらう状態であるのに対して、「大人」は自身のやったことについてはしっかりと自分自身で後始末をするなど自分の行動に責任の持てる人のことを指す場合もある。

「子供」は往々にして無軌道で、衝動的で、自分の行動を律することができないのに対して、「大人」は自分を律することができる人(自律できる人)、というニュアンスになることもある。

年齢的には「大人」に分類されるような年齢になっているにもかかわらず、精神的には子供の状態にとどまったままの人を英語では「kidult (キダルト)」などと言うそうです。


高齢化社会というより高齢者も含めた「キダルト社会」というのが正しいかも知れませんね。



では、成熟した落ち着きのある日々を暮らすには・・・反省をしながら研究を重ねて素敵に丁寧な日々を過ごします。


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