2011年3月3日木曜日

コントロール

 コントロールの解釈は人によってさまざまです。ビジネスの世界で言うコントロールは、主に「マネジメント&コントロール」のコントロールですが、マネジメントの解釈が正しくない場合が多いので、コントロールになるとさらに混乱しています。ここでいうコントロールとは「支配」と考えるのが妥当です。

 さて、これまでお話してきたように、アンビバレンス(アンビバレンツ)、境界、禁止令、ラケット、万能感の背景にある本来の目的は、どうしても自信が持てない自分が責任から逃れて願望を実現しょうとするからです。隠した願望は相手に投影されます。自分は望んでいないが相手は望んでいるというようにすり替えれば自分の責任ではないと思えるのです。そのためにはコントロールが必要になります。

コントロールが必要な理由は、アンビバレンスの拘束を受けていることと、「不安」の強さにあり、それらの背景には自己否定感があります。アンビバレンスの拘束と自己否定感があって、コントロール(支配)をすると、それを知られたくないと思うのが人情でしょう。知られたらどうなるでしょう?

彼らにとって、バカにされる、見下されるのは、ただのミスとは考えられず、致命傷な見捨てられ感につながっています。だから謝ることが苦手です。謝ることは致命的な恥を晒すようなもので、「見捨ててください」というようなものだからです。だから自分の非を認めようとしません。頑固になります。

さらに言うと、そんなことにならないように親密になることを敬遠します。親密になることは自分をさらけ出すことであり、それは恐怖そのものなのです。社交的に見える場合も、重要な人、心を開きたい人には自分のことを話しません。心理的に距離のある人には親密であっても差しさわりがありません。

その結果、心は孤独です。それを知られたくないので、なにごともうまくいっているような態度をとります。助けを求められない状況に自分を追い込むことに他ならないで、孤独を越えて、孤立がますます深まります。

すべてが逆、逆に進んでいきます。コントロールを手放したいと思っている人は少なくありません。しかし負の連鎖は循環するので、連鎖を断ち切る機会を持てないまま、追い込んだ結果の深刻さが年齢と共に深まります。

 特に女性の場合、自立できる経済力がない場合、厳しい局面を迎えることも少なくありません。早期の改善が望まれますが、難しくしているのが運命脚本です。

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