2015年11月26日木曜日

美意識が女子力・人間力を育む




優れた美意識を持つには、美しいものを知らないと持ちようがありません。知ったからといって持てるということにはなりませんが、そこからスタートです。

美しいものがうわべだけの場合も少なくありません。他者の価値観を信じるのはどうかと思います。他者の価値観に美意識が欠如している場合も多いからです。マスコミが報じるものには、そこに収益が含まれているケースが多いので特に注意です。

因果応報という言葉があります。辞書によると「人はよい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」ということです。因果とは原因によって生じた結果や報いのことです。

美意識は因果応報の典型例。美を贈れば美が返ってきます。醜態を贈れば醜さが返ってきます。

私たちは限りある命を生きているのに、無為に昨日と同じことを繰り返しています。そこに緊張感はなく美意識はみえず、怠慢がしか見えてきません。

怠慢に潜んでいるのは、無意識です。無意識のすべてが悪くはありませんが、怠慢が使う無意識は自動操縦で緊張感がなく、美学の対極にあります。

自動操縦にしてしまうと、楽チンなので、問題意識が減退します。そうすると他人の頭を使う頻度が増えるので、自身の美意識から遠のきます。

自身の美意識から遠のくと、「こんなもの」という思い込みに頼ります。広告やメディアの喧騒を鵜呑みにする一方で、自分のネガティブな人生シナリオや禁止令に支配されます。

そうなると、いいことは起こらなくなります。その原因を人のせいや環境のせいにします。つまり人の価値観や環境の価値観で生きてきたことの告白に他なりません。これがカッコいいはずがありません。美意識の欠如です。因果応報です。

美意識は美学の素なので、日常の隅々から人生の大きな選択まですべてに宿るので常に意識したくなるもの。うわべのことではなく意識の底の底のこと。その支柱になるのが「人の目」。

ここが難しい。人の目を気にすることと、気にしなくていいことがあります。その取捨選択の仕方が美しい人でありたい。



この写真はどうでしょう?
美しいと思う方とそうでない方に意見は別れると思いますが、
これを心象風景と考えたらどうでしょう。

そこに横たわる女性への大切にしている想いをイメージしたものだとしたら、また見方も変わるかもしれません。








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