2015年12月9日水曜日

ドラッカーに学ぶ幸福な恋愛

まず、ドラッカーの言葉のご紹介です。

10年、15年にわたって有能だった人が、なぜ急に無能になるのか
私が見てきたかぎり、原因は、それらの例のほとんどにおいて、昇進した人が、前の任務で成功したこと、昇進をもたらしてくれたことを新しい任務においても行ないつづけることにある。その挙句、無能な仕事しかできなくなる。正確には、無能になるのではなく、たんに間違ったことを行なうために無能な仕事しかできなくなるのである。
新しい任務を行なううえで必嬰なことは、卓越した知識と才能ではない。それは、新しい任務が要求するもの、新しい挑戦、仕事、課題において致命的に重要なものへの集中である。

以上、ドラッカーの言葉です。これは仕事についてのみ適用される言葉ではありません。人生に於けるすべてに適用する言葉ではないでしょうか。

つまり原理原則なのです。



エンタメ的に楽しかった時を過ぎて、時間の構造が変わるのを嫌がり、ただなんとなく惰性で一緒にいる恋愛や結婚を五年続いている、十年続いている言えるのでしょうか。ひとりでいるよりマシという選択もあるだろうが、ドラッカーの言葉で考えるなら、愛の無能としか言いようがない。出会った当初は少なくとも緊張があっただろうが、間違ったことを行なっているのでときめきを感じることもなくなってしまうのです。

ドラッカーの話の原因も、恋愛のときめきがなくなる原因も「探究心の不足」と「保身」という点で共通しています。つまり「うわべ」に終始しているのです。

実際、楽しかったら幸せとエンタメ的な恋愛に終始し、それ以上のことを考えることも求めることもなく、探究心に全く無縁なドラッカーが指摘する問題(本人は問題だと思っていない)そのものが歩いているような人が少なくない。


その一方で理不尽に傷つけられた人がいます。幸福になるためには「なぜ」、「どうしたら」を考え続けないとならない苦しみを宿命を否応無しに探究心を背負わされた人です。その宿命と無意識に対峙し、なんとか克服したいとしている。

そこには歪んだように見える行動(犯罪ではない)があったとしても、本質にこだわり、人生の真実を探求する切ない姿があります。

自分は不器用に本質にこだわり、人生の真実を探求する女性が好きです。

しかし彼女らは男性を幸福にするより、自分のことで精一杯です。愛を求めながらも、気軽に受け入れることができないので、気持ちとは裏腹な行動に終始してしまいます。だから男性が幸福だと感じる機会は少ない。

でも男性にも二通りあって、女性に幸福にしてもらうために恋をする人と女性を幸福にしてあげたいから恋をしている人がいます。後者の男性の場合、人生の真実を探求するという点で価値観を共有することができ、愛する人が真実に覚醒していく姿を側で見守りながら、ついに彼女が真の喜びに到達することに至福を得ることができるのです。水泡に帰す場合もあるのは何事も同じ。それでも保身より愛し守り抜くために全力を投じる喜びを感じる生き方を選ぶのも人生なのです。それもとびっきりの素敵ですよね。



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