意識の上では、愛されたくて異性に近づき、愛されるような言動を繰り返し、注目をひきます。これがはじまりで、仕掛けといえます。この段階では、関係はスムーズで問題はなく、互いに温かい交流を交わします。
仕掛けに相手が乗ってきて、愛されていると感じると、「禁止令」が動き出します。すると一転してドラマティックな展開に変化していきます。言動に一貫性がなく、やがて禁止令が勝っていきます。
言動に一貫性がなく、やがて禁止令が勝っていくと、言動に明らかな変化が生じるので相手は混乱してきます。ケンカは火種があるものですが、この場合にはなにもありません。当人の要望に応えるほど関係が悪くなるというのは、コミュニケーションのルール違反です。
相手はこれまでの良い関係を念頭にコミュニケーションをしてきますが、一貫性がなく、裏切られることが続くのでストレスが高まります。状況に不似合いなコミュニケーションは当人がラケットを使っているからです。それでも人によっては我慢を重ねますが、改善の傾向が見えないままなので、やがて相手が耐え切れずこじれるようになります。この段階でこじれる状態が表面化します。三角形のトラブルはその典型的なパターンです。
この段階で立場が一転してしまうのです。それは見事なまでに劇的です。
それまでの救済者が加害者に一転するからです。相手は、なぜそうなったのか分りません。堪忍袋の緒が切れて怒りを向けた場合、温厚な人なら自分の行為に自責の念で苦しむことにもなります。
怒りを抑圧した場合には、ストレスが蓄積されたまま無残な思いを味わうだけです。また他者に打ち明けても、真に理解を示す人はなく、孤立感に苛まれるだけです。
どちらにしても救いはありませんが、ほとんどの場合、相手には非がなく、当人によって、そのように仕向けられ、追いつめられた結果なのです。
そのトリックの種明かしは分っていると簡単です。
最初、当人の思いが優先します。
当人の願いが叶うと、禁止令が動き出し、関係が混乱しだします。
願いが叶うほど、ますます禁止令が強くなり、願いが負け、禁止令が逆転勝ちします。
禁止令は自分を拘束しているギャングです。
自由に楽しく生きて生きたい、自己実現したいと思っても、努力するほど、禁止令が自分の願望を抑え込んで勝利します。
つまり、ドラマティックに破綻する交流は、自分の願望を抑え込む習性が身についてしまっている人の悲しいひとり芝居なのです。その悲劇につきあわされる人は、カモにされているのです。
カモにされた人が結末で味わうことになる救いのない孤立感は、実は仕掛けた当人が抱えている孤立感に他ならないのです。つまり本人が抱えきれないので押しつけられた状態に陥っているのです。そう考えると同情したくもなりますが、根強い禁止令は素人である他者が努力して簡単に解放できるものではないのです。
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