2016年3月1日火曜日

心に愛情の花咲く樹を育てませんか。



たとえば朝晩の家庭での家族間の挨拶、職場における親しみある挨拶は、人生全般に対してプラスに作用する「陽性のふれあい」となり、心のあたたまる体験となって建設的なエネルギーに発展します。

ところが相手が挨拶をしているのに、無視して応えないとすれば、たちまち相手に対する「陰性のふれあい」になり、その場の交流のみならず人生全般にマイナスの作用を引き起こします。最近は挨拶しても返さない人が増えていますが、これが「陰性のふれあい」の日常化の要因の基礎になっていると言っても過言ではないでしょう。

しかし、人は「陽性のふれあい」を求め続けるものであり、それがうまくいかないと「陰性のふれあい」でもいいからふれあいを求める生き物であることを決して忘れないでください。これはとっても重要なポイントです。


いわゆる「ツンデレ」というのは、
恥ずかしさから、「陽性のふれあい(デレ)」と「陰性のふれあい(ツン)」が場面、場面で変わる現象です。

自分なんかも愛する彼女が「ツンデレ」なら、面倒臭いとは思うものの、愛する人だからそれもポジティブに受容してしまいます。受容できない位なら、そういう関係にはなりたいとも思いません。

心から愛したなら、じっくり時間をかけて、相手のペースで治してあげたいと思います。彼女には彼女のつらい事情があるわけですから、現象が分かったから、さあ、治せというわけにはいかないと思います。

ふたりの関係ではそういうことでおさまりますが、職場など社会的な状況ではそうはいかなくなります。社会的な状況では、ステークホルダー(利害関係者)がたくさんいるからです。

つまり「陰性のふれあい」の日常化は甘えの日常化がはびこっていると言えるのではないでしょうか。それは言葉を変えると「依存」の蔓延であり、自立しようとしない大人の蔓延なのです。この状態を「最近の若者は”自己中心”だ」と呼んでいるわけです。

すなわちとても短絡的で俯瞰して物事を考える力が育っていないということです。と言うと能力不足という判断に陥りがちですが、それも短絡的で、その最大の理由はふれあい不足によって生じた「自己受容できない」ことにあるのではないかと思います。


自己受容できないと勇気の不足が起こり能力が思うように使えなくなります。挨拶も能力のひとつですが、これをやってみと促してできない人はいないはずですが、現実にはできない人が山ほどいます。つまり挨拶はできるけど陽性のふれあいができないのです。

それでは、あなたと彼の愛情の花咲く樹を育てるために、この問題を紐解いていきましょう。








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