2016年2月23日火曜日

誰だってありのままの自分を愛してもらいたい





「課題を達成したら褒められる」
  ・・・こんなやり方は間違ってる

「褒めて育てる」というのが流行のように取り上げられた時期がありましたが、自分はこの手法に懐疑的でした。人は対等であるという憲法で保証されてことに背きます。そこまで人はバカではないし、上から目線で評価されること自体、能力の値引きでしかないからです。少し賢い人なら「条件さえ満たせば誰でもいいのか」と考えを持ってしまい、逆に意欲を引き下げてしまうのは明白だからです。

ある女性が好きな男性からプロポーズされましたが、彼女はこれを受け入れることができず「ノー」と言ってしまいました。男性は彼女を愛していたのでプロポーズしたのですが、彼女は「彼は結婚そのものがしたくて私を選んだのか」と懐疑的に捉えたのです。結局、男性は諦め交際は終わりました。

そのとき、彼女は「やっぱり、結婚したかったんだ」と思ったそうですが、時が経つにつれ、自分はなんとひどいことをしたのかと悔やんだといいます。しかし、ノーと言った時点では、自分の考え方を自分では異常だとは分からなかったといいます。

彼女はどのように育ったのかに想いを巡らしました。
おそらく、なにか「課題を達成したら褒められる」・・・そういう繰り返しを重ねてきたのだと思います。欲しいものを買ってもらえたかのかも知れません。努力と我慢強さを学び、自分のものにしていったと想像します。

その一方で「自由な子ども」の心を奪われてしまったのではないかと思うのです。自分になんらかの特別な価値がないと愛されないと思い込んだでしょう。自分が愛されるには、条件が必要だと思い込んでいるかも知れません。そうだとしたら、愛されたら、どうしていいのかわからなくなるでしょう。なにかを返さないといけないと思えば重圧になります。


取引ではないので、本当のところ、愛されるのに条件はありません。私が私でさえあれば十分なのです。「自由な子ども」のように、あるがままにあればいいのです。万人から愛される必要はないのです。自分が愛すればいいのです。自己受容さえできれば十分です。自己受容できていたら、絶対的にあなたがいい、あなたが大好きという人が出てきます。「ずっとあなたと一緒にいたい」と思うようになるので、結婚はその先に自然発生的に起こります。「結婚したくて私を選んだのか」という発想は出てきません。



誰だってありのままの自分を受け入れてほしい


自分はこのブログ好きな人に求められたい! 「時間+思い=癒し」で愛され体質にに出てくる「この人と一緒にいれば自分は大丈夫だと思える」と言うフレーズが好きで、どうしてあげればそうなるのかを考えていますが、自分的には本来あるべき姿である無条件で受け入れてあげるしかないと思っています。誰だって無条件でありのままの自分を愛してほしいですよね。その先にとっても大切な言葉この人と一緒にいれば自分は大丈夫だと思えるが待っています。










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