2016年1月15日金曜日

願いを叶える方法を間違っていませんか?



相変わらず児童虐待による悲惨な事件が絶えません。

レベルの違い。あるいは虐待でなくても根本が類似したことは、誰にも起こりうる可能性があります。

ある父親は、「頭ではわかっているのだが、ついカッとなってしまうのです」と訴
えます。この方はとくに長男をたたき過ぎることにあるのです。ときには‘ 子ども
の手足にアザができるほと、ひとくたたいてしまうのです。
しかし、この父親が愛情に欠けているとは断定できません。折檻した夜には、強い自責の念にかられ、息子の寝顔を見ながら涙して誓うからです。
「もう、決してこの子をたたくまい」と。しかし三日とたたぬうちに、また折檻をして罪悪感を味わいます。

この父親は、周囲の人には、一見自由な成人に見えますが、実際には牢獄に住んでいるかのようです。自分の自由にならない感情に支配されているので、とても自由な暮らしを謳歌しているとは言い難いでしょう。心のなかに、自分でもどうにもならない「仕組み」を抱えているのです。

交流分析では、個人特有の慢性化した不快な感情をラケットと呼びます。

米国で使われている俗語で、計画的な密売買などを行なう犯罪組織を意味します。つまり不快な感情が住みついていて、取り締まりが困難な犯罪組織に酷似しているからです。

たとえばテロや一般人に見受けられる政治に対する態度には、その典型的な事例を発見することができます。また恋愛などによくあるわざと相手を怒らせるというのもわかっていてもやってしまうレベルならテスティングの域を超えています。

このラケットがどのようにして身についてしまったのか、感情の犯罪者になってしまう経緯についてお話ししたいと思います。




町角で見受けられるよくある出来事。

おもちゃ屋さんの前で涙ながらに子どもが親にこれ買ってと言って動かない。親は辛抱たまらず叱り飛ばして帰宅します。この後、家で、子どもが悲しそうな顔をして壁を見ている。そうすると親は罪悪感に苛まれ、買ってあげようかと気持ちが揺らぎ、最終的に購入してしまいます。

子どもが癇癪を起こしたり、悲しそうな顔をしたり、口をきかないなど、不愉快な感情でいると願いが叶うことを知ると、しめしめこのやり方は有効だと「不愉快な感情の効果」に気づくと繰り返し使おうとします。そもそも子どもは万能感を持って成長しているので、この有効性を自分のものにしてしまうと、自分に関心をもってくれるある特定の人に対して、相手を変えるために使おうとします。まるでギャングです。ラケットという呼び名はこのような特長をとらえての表現です。

そのパターンには、辛さを訴求するものもあれば、迎合するものもありますが、どのような形をとっても、自分自身が自然な感情生活を送れなくなるリスクと引き換えだということです。


子どもにとって、親の愛情(ストローク〉が全てです。親の愛情こそ安心と安全そのものなのです。ですから親の愛情がもらえるなら、なんでもする。これが子どもなのです。では次に具体的な症例を見てみましょう。



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