2014年7月15日火曜日

あなたの「見捨てられる恐怖」を利用するダメンズ


見捨てられる恐怖はとても強く、これは拒絶される恐怖とは違います。
人から拒絶されることには耐えられるし、適応できる人でも、見捨てられる恐怖は格別なのです。似ているようでも全然違います。

あなたが誰かに恋をして、受け入れられなかったとしたら「好かれなかった」だけのことです。これはただの他人との関係以上のものではありませんが、見捨てられるというのは「(容赦なく)去られる」ことです。人生の路上にポツンと捨てていかれるのです。

この関係は不幸な親子関係から来ていますので、心理的に近ければ近いほど、もっとも深い関係の不幸の再現になるので恐怖は募ります。子どものころ、両親があなたに愛情も関心も示さず、あななたはひとりぽっちで置かれたので、自分の存在感が稀薄になってしまったのです。



子どもの頃、親の機嫌がいつどう変わるか予測不能であり、親の言動が気まぐれで、矛盾だらけ。その上、日常的に親から批判され、何かにつけて「おまえのせいだ」と責められために、自分に対して厳しくなりすぎ、すぐ自分を責める悪い癖を身につけてしまったことが原因です。

空腹な子どもが食べ物を求めるように、両親の愛情が求めながらも、いつ得られるか、また愛情が得られるかどうかすら分からなかった。その反動で愛情に飢えていて、とても不安定です。

相手の顔色を常にうかがって、一挙一動に振り回され、少しでもそっけない態度をとられると不安が高まり涙さえ出てくるほど敏感。

世界は相手中心で回っていて、自分は世界の枠外に置かれているように感じます。生きている実感を得るには彼の優しい言動が必要になり、彼の存在は空気そのもの。

これは、子ども頃、夫婦喧嘩やトラブルが始まると、落ち着く自分の存在は無視され続けたので、平穏な空気が漂うまでは、ずっとおそろしい気分だった。

どうにかしてそれが起こりませんようにと祈っても、またそれを避けようとしてあれこれやってみても、それは起こってしまい、あなたは繰り返し見捨てられた再現そのものなのです。

そのため、あなたは理想的な恋人になろうとする。捨てられなくくてすむように、あなたは完壁な恋人であろうと必死に努力し、相手の欲求のすべてに応じようととする。

あるいは、最初から警戒し、自分を表現しないことで、完璧でないことがバレないように防御しようとする。

結局、どちらも同じで、実際のあなたは存在しない。相手の欲求に応えるために自分を死なせるか、防御するために死んだフリをし続けるかだ。

自分の「見捨てないで」という思いを満たすことばかりを考えているため、実際には少しも相手のことを思いやることがないので、関係は必ず破綻します。

解決策は簡単です。あなたが生きればいいのです。実際には生きているのだから、生きた人間のように自分の言いたいことを言い、したいことをすればいいのです。あなたの魂の支配者はあなたしかいないのです。
相手のことを思いやれないのは、自分を殺しているからです。人間は命があるから活動できますが、死ぬと身動きひとつできなくなります。


理想的な恋人になろうとするのを喜び、捨てられなくてすむように、完壁な恋人であろうと必死に努力する姿に微笑みを浮かべ、欲求のすべてに応じようととするあなたを愛せるのは、あなたと同じようにか、それ以上に死んでいる人しかいないのです。あなたの見捨てられる恐怖を利用するダメンズも同じミイラでしかないのです。

人生を愛し、あなたを心から愛し、今日を生きている人なら、そんなあなたを見てうれしいとは言いません。胸を痛め、やめてくれと言います。


0 件のコメント:

コメントを投稿