2014年7月14日月曜日

「どうせ私なんか」の言葉が口癖になったわけ。



小さな女の子が父親がご機嫌なときに言います。「ディズニーランドに連れていって」

「ああ、いいよ。今度の夏休みには行こう。どんなアトラクションが好きなのかな?」

女の子はすっかりうれしくなります。

夏休みが直前になり、再確認すると、忙しくて行けないな。お正月に行こう。絶対に約束するよ」

女の子は愚図りますが、お母さんにも叱られます。
「仕方がないのよ。お父さんは忙しいのよ。約束してくれたじゃない。我慢しなさい。」

女の子は体験から言葉の意味を感じています。
「なにも約束はなかったんだ。これからもない。」と言われたと知っているのです。

女の子はは失望しなくてすむように、なにも欲しがらないようになります。
繰り返される約束破りで躾けられたのです。(正しくはこれを躾とは言いませんが)

大人になったあなたは誰にもなにも要求できない人になっています。
もし、約束を破られても「約束したじゃない」と抗議できないのは、体験を通じて、そのように教えられてきたからです。
あなたの彼は決して身勝手に約束を守らないわけではない。いつも理由がありますが、結果としては約束は破られている。たまたまそうなっただけのように思える。

あなたは、相手が願うことを受け入れ、相手が望むからと性欲を刺激する目的のアダルトビデオのような行為も厭わない。
その一方で願いが叶う事も約束が守られる事もなく、要求することもなく、生活に疲れていく。



なんでも自分でしなければならないと思うものの、約束をして破られることが怖いので、願望を伝えないし、怒りも伝えない。

どうしたって「自分なんか」にふさわしくないのだとあきらめが先立つ。

だが、願望がないわけではない。そこでダイレクトに伝えないかわりにほのめかす。「ほのめかして叶えられないなら、愛されていない証拠だ。しかし分かってくれなくても、率直に言わなかった自分に非があるのだから、仕方がない」と伝える以前に防衛している。

あなたは自分の心を読んでくれる恋人、なにもいわなくても、ちゃんとあなたを喜ばせてくれるような恋人としか、幸福な恋愛はできない体質になっている。しかし現実にはあなたがその幸福を受け入れない。

仮に空想したような恋人ができてもあなたは疑う。なにか魂胆があるに違いない。自分がコントロールを手放したらきっと酷いことが起こる。素直に受け入れられないので、自分の感情を伝えない。

機嫌がいいときに「いいよ」といってくれても、すぐに気が変わり、忘れられたり、約束が無視されたことを身を以て体験したことが、体質になっていて、彼が一貫した誠実さを示しても、誠実であればあるほど、怖くなり、結果的には約束を守らない男を選び、そして期待を放棄して生きて行く。





あの幸せを空想して期待していた小さな女の子は、約束を破られた気持ちのまま年老いていく。「どうせ私なんか」・・・慣れ親しんだ感情だけが友だちのまま。


あなたはこの先、どうしますか?






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