2012年8月30日木曜日

考え過ぎる人はなにが問題か


 

幸福な人はネガティブなこととのつきあい方がうまいし、立ち直りも早いものです。エネルギーは無限ではないので、人間の資質、能力としてとても重要なことです。
だってね。考えても仕方のないことを考えている間に他のことが出来るんですよ。

 悲しいこと、不安なことが、考えすぎる人の身に起これば、「反芻(はんすう)」が起こって、悲しみも不安も消えることなく延々と続きます。

反芻とはウシ、ヒツジ、ヤギ、 ラクダといった反芻動物と呼ばれる動物の事例にもあるように一度飲みこんだ食物を再び口に戻して咀嚼(そしゃく:もぐもぐ)する行為をすることです。 何度も同じネガティブな考えを繰り返して考えることを言います。

大抵の場合ネガティブな考えとポジティブな考えが入れ替わり起こるのが多いパターンです。この種の行為に囚われる背景には、繰り返し考えていると、なにか違ったものを発見するかも知れないという思い込みがあります。 

しかし現実は、思い込みに反して集中力を欠く、決断力がなくなる、簡単でなんでもないことが堪え難いほどの面倒というようなことが起こってきます。結局、同じことがぐるぐる回るだけで、思考することがないまま、思考力がなくなります。他人から見たら「ノイローゼ状態」です。 

ネガティブな感情が呼び出すのはネガティブな思考なので、本人も反芻に疲れ果て自信を失い気力までなくなりますが、不安な感情からは不安しか呼び出さないのです。脳のメカニズムはそうなっているのです。なんでもなかった程度の小さな不安が転がしている内に雪だるまのように大きくなって取り返しのつかないネガティブ行動になることもあるのです。 

この状態をシャットダウンして抜け出す方法は、なによりまず自分の状態に気づくことです。こんなことをしていても無意味、無駄と考え、有効な行動をとることです。しかし、ここには隠されたトリックがあることに注意しましょう。

反芻するのは、答えを出せないことで、安心するという仕掛けがあります。未だ結論は出ていないから状況は良くも悪くもなっていない。現状維持だという都合のいい思い込みによる安心です。 考えすぎの問題の核心はそこにあります。

停滞と継続は同じではありません。同じだと思い込んでいるので、気持をそらすことができません。正確にいうと気持をそらしたくないのです。そらさないことで停滞ではなく継続だと思い込めてしまうのです。 

しかし、実際には世の中は動いています。自分が受け身になっていることに気がつかないのです。結果的に責任は自分が引き受けず相手のせいにするようなことになります。 切り替えができる人は、気づき、次に気をそらし、別のことに行動を起こします。だから切り替えができるのです。

切り替えができない人は、気づいても、そこでわざわざ気をそらさないように、同じことを一から考える、あるいは同じことを一から相談するのです。 気づいたことに不安を覚えて、気をそらさないように自分で選択するのです。これらは自分の意識的な選択なのです。確信犯です。やがて相手、または第三者による決断が起こると無意識レベルでは内心ほっとします。

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