2013年10月31日木曜日
建前
建前というのは世界では嘘と判断されています。嘘の多い人は自身でも混乱してきて行動も嘘になります。それが慢性化すると、嘘がバレない行動が日常になります。
こうなると自分でも本心が分からなくなります。行動が錆びきって何をしても目的を達成できなくなります。そもそも目的が嘘であるとの自覚すらない幻なのだから達成できるはずがありません。
実現、達成が厳しい目的、目標ほど、 とんがった切れ味にこだわり 突破力を磨き上げなければならなりません。 切れ味とは本音の度合いのことであり、本音であればあるほど突破力は磨かれます。
いつも本音で生きている人は鋭くとんがっています。とんがるのは集中力を発揮するためです。自身の全力を針のように磨いた刃先一点に集中させます。
一点に集中させた者がいる。
一方では、保険をかけるのが賢いと思う者がいて 無難に、無難にと、力を分散させ、建前という嘘で固めた者いる。
両者がぶつかれば、どうなるかはすで明らか。
保険をかけるのは悪いことではありません。
それにしても、大事なのは求める結果から逆算して、だからいまこうするという発想です。
そもそも建前で考えるのが慢性化しているので結果から逆算することができなくなっています。つまり錆びて使い物にならなくなっているのです。
人生は、その繰り返しです。100回本音で突いた人と、100回建前で突いた人がいる。
やがて、気が変になっても、当たり前です。
2013年10月26日土曜日
言葉の力
夢を夢と呼び続ける人は夢を現実にはできません。
夢を現実にする人は、いつしか夢を運命と呼ぶようになります。
言葉の力は思う程小さくありません。
しかし言葉をどんなにいじくってもいじくるだけで言葉に力は宿りません。
でも具体的にすることでがぜん言葉は力を宿します。
行動することで自分のなかの位置づけが変わる。
すなわち、自分の中の優先順位が変わるのです。
行動に伴い言葉が引っ越しすることで夢は現実になっていくのです。
2013年10月22日火曜日
人の関係のしかたに苦しむ人の特徴
人間関係のしかたに続く
自分のパターンがどういうふうに作られたのかわかれば、性格に深く根づいている、すぐに自分を批判し責めるくせを直すこともできるようになります。
それでは、あなたが教え込まれた<人との関係のしかた>とはどういうもので、それが現在のあなたにどういう影響を及ぼしているかを考えていきましょう。
大なり小なり不幸な<人間関係のしかた>をやってしまうパターンとべったりくっついた思考パターンが次にあげた事例に多く発見できるはずです。どうでしょう?
信念化した完璧主義
- あなたが本当の私を知れば、私をきらいなるだろう
- 無防備になれば私に不幸な結果をもたらす
- 信頼され愛されるために幸福でなければならない
- 私が完璧でないことがわかったら、あなたは私を嫌い、離れていくだろう
過剰な期待と理想化
- あなたに私への思いやり、愛情、信頼があれば、非難したり口論しないはずだ
- あなたに愛情があれば私の欲求、願望、希望を察して実現に努力してくれるだろう
- 私たちは一体だから何でも察してくれて、何でも一緒にするだろう
- もし私たちが本当に信頼し、愛しあっていれば、決して別れたりしないはずだ
過剰な不安
- あなたを本気で好きになれば、私は自分の人生をコントロールできなくなる
- 私が思い通りにコントロールしなければ混乱が起こる
- うまくいかないのは自分が悪いからだ
これらは<人間関係のしかた>に苦しむ人の特長的な過剰な思い込みです。
寛容な関係とは、特別な愛情を通わせている関係で、親子関係、異性を意識した関係、特別に信頼し合っている親密な友人、目上、目下など文字通りの特別な関係です。
<人間関係のしかた>に苦しむ人は、なにより一般的な関係では距離感のコントロールが苦手でどう接していいのか、打ち解ける方法が分からないので、積極的に関係を結ぶことが苦労します。
打ち解ける方法が分からないのは、信念化した完璧主義が邪魔するからです。すぐに打ち解ける人を見ていて羨ましいと思うことがありますが、彼らは否定することも、されることも、なんとも気にしていません。
考えても仕方のないことを考えて身動きできないのですが、深く根ざした完璧主義が邪魔します。
しかし一般的な関係では、人見知りする、人付き合いが苦手で、済んでしまうので、大きな弊害にならずに人生を過ごすことも可能ですが、この傾向は特別な関係で顕著になります。
特別な関係で破綻しお互いを傷つけてしまいます。傷つけながら関係を育むので、破綻しやすいのです。
夢を持たずに生きている人の方が断然多いので、夢を叶えたという意味ではなく、人生で成功したと実感することは大変です。なぜなら成功の定義さえ決まっていない人が多いからです。
ゴールがないのにゴールをめざして生きることはできないので、大過なく過ごせて良かったということになりますが、満足の実感が乏しくて当然です。ですから夢、目的、目標、ゴールを定めて、実感できる大切さを口々に唱えているのです。
しかし <人間関係のしかた>に苦しむ人は、完璧主義と二人三脚なので、成功しなかった時の実感に注目するので、夢、目的、目標、ゴールを定めることを無意識に嫌います。
普通に育ってきた人でさえ、夢、目的、目標、ゴールを定めても、定めて叶えるのも簡単ではないので、具体的に定めるのが難しいのなら特に気にすることはありませんが、自分の難題解決やスキルアップのために定めた方が良いのです。
2013年10月21日月曜日
愛の役割
国と国の間に、国境があるように、人には境界線があります。
つまり、私とあなたは別の人格という当たり前の話です。
2013年10月20日日曜日
人生の真実
まず自分を、次に誰かを、ごまかしても、自分の姿も軌跡も、真実の通りにしかなりません。社会とは鏡なのです。
成功したいとか、幸福になりたいとか、成長したいとか、業績をアップしたいとか、言う前に、あるいは言った後からでも、自分の真実を知り、真実のままに生きることです。そこからしか求めるものは得られないのだから。
なにごとも分解すれば、そこには基本があります。結果を分解すればプロセスがあります。作業を分解すれば動作があります。
マニュアルは動作について語らなければマニュアルになりません。無能なマネジャーは結果しか語れません。
基本を疎かにすれば疎かにした結果しか出ません。ごまかしがきかないのです。
基本はシンプルなものですが、基準の高さ、我慢、繰り返し、練習を必要とします。みっちり10年かけた基本と0年の基本では差が出るのが当たり前なのです。これを能力の違いと言います。神は細部に宿るのです。
人は経験を重ねて成熟するものと考えられているが大嘘です。それは反省を起点として自己啓発を絶え間なく続ける一部の人の姿を理想に語ったことに過ぎないのです。
人は誰しも<人間関係のしかた>の結果を実証を目的とした自身の運命脚本に則って暮らしていて、年を重ねる程、<人間関係のしかた>を強固にしていき、ドラマチックな最期を迎え、遂に目的を達成します。これこそが隠された人生の目的です。
実に悲しいことですが、この束縛から解放するために人生が用意されていると言っていいのです。
つまり人には選択すべき二つの道があります。自分の真実に生きたいと思うなら後者の人生を選ぶことです。
2013年10月18日金曜日
人間関係のしかた
影響を及ぼしているのは子どもの頃の体験ではなく「感情」です。幼少期から何度となく繰り返し体験することで自分の奥底に沈殿してきた感情です。
新しい体験をするとき、あなたは新しい感情、古い感情、過去のすべての感情、さらに 混乱、八方ふさがりという感覚、運命は変えられないという思い込みもみんなまとめてひきずって、望む結果に反した感情を使って体験するため、望む結果は実現できず、またやってしまったという思いにかられるのです。
どのようなビジネスの幸福な成功も、恋愛や結婚(家族)の幸福も、幸福を共感できる子育ての成功も、<人間関係のしかた>にかかっています。
<人間関係のしかた>はあなたの人生を変えます。
そこには必ず豊かな感情の交流があります。そしてそれこそが幸福の本体を形づくります。生きがいは粘土のようなもので、 感情が水の役割を果たし、熱が行動。塑造されるプロセスが幸福と思えるものです。

「なにかを要求しても、手に入らない」ということが、あなたはこわくてたまらないからです。だから最初から要求しないで身を潜めることを選んでしまうのです。
そしてたまに勇気を出して要求しても、手に入らなかったとしたら、自分のようなつまらない人間には、やっぱり欲しいものを手に入れる資格などない、という卑屈な思い込みを強めてしまいます。
あなたが必要とすればするほど、この問題を起こしてしまい、自分を追い込んでしまうことにこの問題がいつまでも解決できない根の深さがあり、人生の広範囲でマイナスになっているように感じているでしょう。
<人間関係のしかた>に混乱があるために自分と相手の間にある「境界」に混乱が起こしているのです。この人間関係のしかたでは、ギプ・アンド・テイクになってしまい、あなたが一方的にギプして、相手がテイクするようになってしまいます。
「ライフスキル講座」ではギブ ・アンド・ギブを推奨していますが、それとは意味が違います。先のギブ ・アンド・ギブは自らが望んですることであり、この場合は本心ではギプ・アンド・テイク、あるいはテイク・アンド・テイクを望みながらギブ ・アンド・ギブになってしまっているのです。
このような習性のきっかけの大半は親と子の間違った関係から生じる<感情>を出発点にしています。
たとえば親は子を育てる義務と責任がありますが、「育ててやるから家庭のトラブルの原因が自分にあることを認めなさい」と押しつけてきたら、あなたはどうしたでしょう。無力な子どもは生きるために本能的に問答無用で引き受けるでしょう。
こういう理不尽な体験を繰り返えすと子どもの中に何が蓄積されるでしょう?境界の混乱さらに無力感と無価値観、つまり自己否定感が蓄積され、自分の要求を正当に要求することができなくなります。
人間関係では褒められても嘘としか思えず、けなされることには甘んじてしまう、あるいはアドバイスをけなされていると受け取り、敵意を表現してしまいます。
しかし、親しい関係では、全く自分の期待を要求しないわけではなく、あいまいなほのめかしで相手にヒントを与えます。
それに気づかないと、相手との関係性で怒りを表現してしまいます。
それに気づかないと、相手との関係性で怒りを表現してしまいます。
恋愛関係、夫婦関係、親子関係、親友関係など特に寛容の度合いの大きい特別な関係である場合では境界を容易く越えてしまい、相手に理不尽であると受け取られ、関係を破壊してしまいます。(ライフスキル講座 受講者受付中)
これら<人間関係のしかた>の問題の土壌に蓄積された体験によって寛容さへの誤った認識があるのです。
甘えの許容範囲を逸脱してしまい、親しい人と安心できる関係が結べず、距離のある人との間では自分を出すことに恐縮して要求ができない。
このような状態にいると、あなた自身にどのように優れた能力があり、豊かな人間性があっても、本当に思いやりのある人と良い関係が作れなくなるので、 ビジネスの幸福な成功も、恋愛や結婚(家族)の幸福も、幸福を共感できる子育ての成功も、できなくなる危険が生じます。
これは自分さえいい子になればすべてうまくいく、親のいうとおりにして、親の思いどおりのいい子になれば、両親は機嫌がよく、家庭の中は万事うまくいくと思い込まされていた環境と感情の再現です。
この環境をいまは自分が作っていることを意識することが、これを突破する最初の気づき(意識化)になります。ライフスキル講座 毎月受講者受付中
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